聖典と啓示

「バカダークファンタジーとしての聖書入門」とかをチラ読みした低脳が適当に知ったかぶった記事が100ブクマとか行ってると、はてな民度の低さというかポピュリズムの必然に呆れ返ることがある(たびたび呆れ返るというのは俺が人間に楽観してるためか)
念のため言っとくが「バカ〜」が悪い本だと言う訳ではない。読み物としてはそれなりに誠実だ。だが、そもそもの誤謬は信仰者の態度を勝手に決めつけて、それと聖書の残酷エピソードは矛盾しませんか。と突き付けていい気になっているところだ。こちらとしては、前提が間違ってるので、はあそうですか、としか答えようがない。古代イスラエル部族が残虐全開ですねと、ニタニタしながら勝ち誇って彼らは言い寄ってくるのだが、まあ土人だからそうだよなあ、てなもんである。
だがまあ、あえてこのブログの数少ない読者のために、信仰者の読み方を簡潔に提示しようかと思ったが、ここまで書いてもう飽きてきている。
とりあえず一つだけ、聖書は神の直接の啓示ではない。あれは証言集みたいなもんである。では、神の御言葉とはなんであるか、それはイエスだ。イエスの中に神は自らをお示しになったのである。(気が向いたら続く)

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。(ヨハネによる福音書1:1)