知恵遅れを聖絶

さて、乗ってきたので、もうちょっと書いておく。

批判者はたとえば「旧約に残虐エピソードが載ってるから全然一貫した愛の神ではないじゃないか」とか言ってくるのであるが、誰がいつキリスト教を一貫した愛の神の宗教だと主張したのだろうか。つまりてめえの勝手な願望を押しつけて、それを批判してるのである。お前が批判してるのはキリスト教ではない、このトートロジーバカが。以上。

で、終わりなのだが、これだと余りに詭弁じみているのであえて答案Bを用意してみよう。
大事なのは、イスラエルの民が唯一の神という着想を得たこと、そしてそれを信じたことである。それは神の霊感による。そして神の霊感とは原理的に実証不可能であるので、信じる他ない。他部族の聖絶(殺し尽くすこと)、これをその神が命じたとイスラエルの民が「信じた」こと、これが死活的に重要なことである。神が「聖書の神話」を与えたのではない。「イスラエルの歴史」の中に神が顕現したのである。
そして、そんな土人の伝統の中にあって、イエスは徹底した愛の神を説いたのである。これはすごい。イエスすごすぎる。ここまですごいと神そのものと言ってもいいかもしれない。イエスは神。簡単でしょう。