善人なおもて往生す、いわんや悪人をや。

選挙で何も変わらないというけれど変わった。というのは「選挙で何も変わらない」ということを決定的に認識するようになった人が増えてるということだ(俺のツイッターTLの印象だが)。
国民主権というのは完全に欺瞞であり、支配層である行政は何も変わらない。そして立法府も行政に頼らなければ何もできない。そしておそらく行政にはもう別にすることはない。ただただゆっくり国家が衰退していくだけだ。「君の一票が力を持つ」なんていう学級委員野郎の顔には唾を吐きかけろ。くだらない権力追従儀式にはもう参加する必要はないだろう。
我々人民は暴力革命には走らない程度に飼い慣らされて衰弱死していくだけだ。サイコー。
では、人生に救済はないのか。ある。信頼できる人間との共生だ。
最近、梅原猛先生の本を読んでるのだが、梅原の親鸞解釈は面白かった。梅原は悪人正機を中心にする親鸞観を近代人の個人主義的解釈に過ぎぬという。つまり生来的な欲望の単なる肯定に親鸞を利用するのが近代人だと言うのだ。梅原は親鸞の本質の思想は二種廻向だと言う。阿弥陀の慈悲により極楽に往生した人間は再び現世に来て利他行を行う。これが個人主義的独善を乗り越える思想なのだ。ここで人間の業に依らない来世での救いの確信と現世での善行が両立するのだ。俺はキリスト者なので、ここに信仰義認と二重予定説の教理とのアナロジーを見る。ここに普遍的真理の一片が見出せるような気がする。