偶像神(アイドル)

左翼は専制国家が新自由主義を主導してるのでそれに抗わねばならないという物語を説くが実際のところそれは間違いだ。貨幣(マモン)という偶像により、人口の1%が富の半分を独占してるという状態が続いている。これは残りの99%の人間は不正だと感ずるだろう。それに抗うために国家(リヴァイアサン)という別の偶像が担がれているのだ。トランプやサンダースのような国家社会主義者の台頭はそのためだ。邪神を倒すために邪神に頼っているのだ。新自由主義のもたらす格差社会は間違いだ。だが、国家が単に富を再分配し、人を支配すれば人は尊厳を得ることができるだろうか。偶像崇拝とは何か。それは神でないものを神とすることに他ならない。本当の権威とは何か。

人生は金じゃないというけれど

では何か。それは愛です。困った時に助け合うリアルな人間関係を築くことです。
つまり、ファンモン加藤さんは普段言ってることは間違ってなかった(ちゃんと聞いてないが)けど、チンポは暴走してしまう。それが人間にプリセットされた属性。原罪というやつですな。だから言葉は信用なりません。行動により人は信頼を得ます。

福音を生きるとは

誰の誤解を解くというわけでもないが、俺は護教論を展開したいんじゃないんだよ。むしろ、キリスト教この辺ロジック弱いよな、いい加減だなと思う箇所は多々あるわけですよ。でも、そこツッコまれても別に痛くないよってところを知ったかバカが得意気に突っ込んでると、ああ低脳がと思ってイラっとくるわけですよね。

 

整合された体系に納得するが故に人は信仰を持つわけではない(そういう人もいるだろうけど、そういう人は頭でっかちなので行き詰りがち)。
だから整合してないよね、と言われても、そう整合してないんですよと答えるほかない。これは開き直りのようだけど、整合性が実証できるのなら、それは客観的事実であって信じる対象ではないじゃないか。
これは読み方の問題だ。わけのわからん長大な聖書を読めば必然的に信仰が導かれるのではない。もっと言えば、あれは行き当たりばったりの書物の寄せ集めなのだ。そうじゃなくて結論ありきで読むのだ。それは「私は必ずイエス・キリストにより救済される」という結論だ。
では、救済とは何か。キリストとは何か。イエスとはだれなのか。それを自分の人生をかけて引き受けるということなのだ。来世で永遠の命が与えられるなんて信じられないと誰かに言われたら、じゃあ現世で救われる方向で考えてみたらどうですか。と俺は答えるだろう。めちゃくちゃですか。そう、めちゃくちゃなんです。
まあ俺は割と保守的な信者なので教会の教義にイチャモンつけたりしないが、別に神話も奇跡もご利益も神すらも否定して、イエスに倣う道だってあるのだ。
イエスとの出会いとはそういった可能性への心の開きに他ならないのだから。

 

次回は相席屋に行くような男を批判したいと思います。

知恵遅れを聖絶

さて、乗ってきたので、もうちょっと書いておく。

批判者はたとえば「旧約に残虐エピソードが載ってるから全然一貫した愛の神ではないじゃないか」とか言ってくるのであるが、誰がいつキリスト教を一貫した愛の神の宗教だと主張したのだろうか。つまりてめえの勝手な願望を押しつけて、それを批判してるのである。お前が批判してるのはキリスト教ではない、このトートロジーバカが。以上。

で、終わりなのだが、これだと余りに詭弁じみているのであえて答案Bを用意してみよう。
大事なのは、イスラエルの民が唯一の神という着想を得たこと、そしてそれを信じたことである。それは神の霊感による。そして神の霊感とは原理的に実証不可能であるので、信じる他ない。他部族の聖絶(殺し尽くすこと)、これをその神が命じたとイスラエルの民が「信じた」こと、これが死活的に重要なことである。神が「聖書の神話」を与えたのではない。「イスラエルの歴史」の中に神が顕現したのである。
そして、そんな土人の伝統の中にあって、イエスは徹底した愛の神を説いたのである。これはすごい。イエスすごすぎる。ここまですごいと神そのものと言ってもいいかもしれない。イエスは神。簡単でしょう。